難関大学合格者は、本当に一日十時間勉強しているか――ガリ勉という名の神話 

この方の考察は「ネットではこう言われているが、私の身の回りにはそんな人はいない」
という論調が多いですが、
たまに我が意を得たり、というものがあります。

高学歴で、ネットを見る事で自分のと世間一般の常識とのずれを認識しているところも。



白熊の屑籠より
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20120627/p1

 「難関大学に入っている人はガリ勉している」という“物語”が流通しているのはなぜか?個人的には、「勉強さえすればどんな大学にも入れる」という受験神話の、副産物ではないかと思う。

(中略)

 しかし、この受験神話のなかには、嘘や思いこみが混じっている。

(中略)

自分自身の可能性の限界を認められる人は、「勉強時間と成績は比例する」という嘘にすぐ気づくが、世の中には、この嘘を引き受けたくない人もいるようだ。
 
 そこで、こう考えるのだ。
 「難関大学に入っている人達は、素養や効率性に優れているのではない。努力の量が超人的なのだ。ガリ勉しているのだ」と。
 
 こう思い込んでいる限りは、「自分の成績がさほど伸びなかったのは、自分の勉強の素養や効率性の問題では決してなく、単に努力が足りなかっただけだから」という風に思い込むことが可能になる*4。裏を返せば、「自分だって、ガリ勉すれば難関大学に入れた筈なんだ」「本当は自分はやればできる子」という全能感を放棄しなくて構わない、というわけだ。
 
 ここでは「やればできる子」という全能感を放棄しないようにする一手段として、「難関大学=ガリ勉」という物語が要請されている、と言い換えることもできる。難関大学合格に対し、現実にはあり得ない勉強時間を設定して「そこまでやれば私でも」「でも、そこまで普通やらないよねーw」という風に思い込んでおけば、「やればできる子」という自己イメージは温存される。

 もちろん、すべてのガリ勉信仰者が、自己イメージを守るためにそう思い込んでいるわけではないだろう。単に、身の回りに進学校に入っている人が全くいないだけという人もいるに違いない。