久保竜彦

http://number.bunshun.jp/articles/-/235270?page=2 久保竜彦
「要は練習でのすり合わせなんよ。たとえば入るスペースを空けておいて、俺がそこ狙っているんだと分かってもらう。みんなの足がどっち利きで、どの方向にボールを渡せば俺のところにいいボールが返ってくるかとか、全部、練習で確認してイメージを持っとく。俺がどうしたいか、周りにイメージを持ってもらわんとダメやし、あとはすり合わせたものをどう使うか。判断を速くするためにはやっぱり練習が大事。練習が試合に出るんよ」

 '03年の横浜F・マリノス移籍が久保の哲学を確立させたと言っていい。それまで8年間プレーしたサンフレッチェ広島を離れ、新たな仲間と一から信頼関係を築いていかなければならなかった。自分の要求を伝え、味方の要求を聞く。そのすり合わせによって、移籍1年目で自己最多のリーグ16得点をマークできた経験はとてつもなく大きかった。

「大さん(奥大介)、遠藤(彰弘)さん、(上野)良治さん、(佐藤)由紀彦、ドゥトラ、後ろやったらマツ(松田直樹)……どっからでもいいパスが来る。最初は驚いたよ、(パスの)アドリブが多いから。由紀彦、ドゥトラのクロスは重かったなあ。だからミートすることだけ考えりゃよかった。大さんのパスはいつも気が利いとったなあ。『これじゃったら決められるじゃろ』って言われてるようやった。ありゃ決めんといかん」

 2004年2月、久保の名前を一躍全国区にしたのが、ドイツW杯アジア一次予選、初戦のオマーン戦だった。満員に膨れ上がった埼玉スタジアム。後半ロスタイムまでスコアレスを続け、スタンドもジリジリと焦燥感が高まっていた。途中出場の久保はチャンスを待ち続け、それはようやく訪れた。ゴール前でフリーでパスを受け、若き守護神アルハブシと対峙する。左足で振り抜いたダフったようなシュートが、日本を救う一発となった。一気にスタンドは熱狂の坩堝と化した。

 あの感触、覚えてる?

 そう聞くと、久保は「ああ」と頷いた。
「わざとああいうふうに打ったんよ。あのGKにバーンと打ったら、多分、バーンと止められとったはずよ。やけん、相手のタイミングをずらすことを頭に入れとった。予選やし、勝たんといかん。途中から試合に出て、点を取らんとなと思ってたし」

 ここからエースの称号を手に入れるまで時間はかからなかった。4月のハンガリーチェコ戦、5月のアイスランド戦と欧州遠征で3試合連続ゴールを挙げる。「クボには世界を相手にしてもやっていけるクオリティーがある」と指揮官ジーコも興奮を隠せなかった。

 特に日本との対戦後、ユーロ本大会で準決勝まで勝ち進んだチェコを下したゴールは衝撃的だった。一瞬のスピードでサイドのスペースに抜け出してペナルティーエリアに侵入し、切り返してからファーに打つと見せかけてニアにぶちこんだ。GKはあのペトル・チェフである。

「いや、ゴールはうれしかったけど、チェフは本気じゃなかった。反応が遅かったもん。所詮、相手にしてみたら親善試合なんよ」