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アルジェリア人質殺害事件とメディアスクラム(佐々木俊尚)

アルジェリア人質殺害事件とメディアスクラム
http://www.pressa.jp/blog/2013/01/post-8.html

 アルジェリア人質殺害事件での被害者名の問題について、昨日もFacebookで書いた。私の意見を要約すれば、以下のようなこと。

 つまり、新聞記者は『一人の人生を記録し、ともに悲しみ、ともに泣くため』などと高邁な理想で被害者の実名報道の重要性を語るけれども、実際にやってるのはメディアスクラムで遺族を追いかけ回しているだけ。つまり新聞記者の側は、「理想とすべき報道理念」を語っているけれども、遺族取材を批判する人たちは「現実の報道の姿勢」を問題にしているということ。

 この乖離を埋める努力をしない限り、新聞記者の理念などだれにも理解されないよ、ということを書いたのだった。

 しかしこの乖離を(たぶん無意識のうちにだと思うけれども)回避させている意見が、今日にいたってもあいかわらずマスメディアの側に目立っている。

 たとえばカバの人が語るイメージ先行のメディア批判とメディアの説明責任というTogetterのまとめ。このカバオ・クリシュナさんは報道の業界の方じゃないかと思うのだが、以下のように書かれている。

日揮社員の実名匿名問題について一言だけ。遺族の感情を慮るのは大事だけど、なぜ『マスコミが取材に行くと遺族が傷つく』という前提で話をしようとするのか。震災の時もそうだったが、現場の記者が信頼されていなければ世に発信できなかった遺族のストーリーはたくさんあった。これも遺族取材の成果」

「ザクッと言うと、遺族取材ってものすごくしんどいんですよ。声かけるのだって憚られるというか気が重い。正当化するわけじゃないけど、遺族の感情を正面から受け止めようとするのは軽い覚悟ではできない。それでもやる価値があると思うからやります。意味がないなんてことは絶対にない」

「遺族取材がすべてメディアスクラムだと思っている時点でスタート地点が違いすぎる」

 この気持ちは私もよくわかる。遺族取材というのは実に気が重く、たいへんな取材だからだ。それはその通り。

 しかし。ここでカバオさんが言ってる「遺族取材」、私も同意した「遺族取材」というのは、事件発生直後のメディアスクラムのことではない。たぶんここで言われている「遺族取材」というのは、事件発生からだいぶ日にちが経っていたり、まだ他社の記者が気づいていなかったりして、自分以外には取材者がいないという状況。つまりメディアスクラムにはなっていない状況の中での取材のことだ。