先のことを思い悩んだりするのは人間だけ

■[雑記]ハイデガーの『現存在』の意味
http://d.hatena.ne.jp/dokai3/20130123/p1

 よく聞くけど、あまり知られていないハイデガーの『現存在』(『世界内存在』)なる概念。
 木田元先生による、とても素晴らしい解説、そして大変説得的かつ示唆に富む人間観の仮説なので転載引用します。木田先生の解釈は、かの気鋭の哲学者・國分功一郎さんの話題作『暇と退屈の倫理学』の議論にも影響を与えているように思う。
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 たとえば人間以外の動物は、そこに多少の幅、多少の厚みはあるにしても、いわば<現在>だけを生きている。動物にとっては現在与えられている環境だけがすべてであり、それにだけ適応して生きているのである。それに対して人間は――むろん神経系の分化が進み、それがある閾を越えることによって可能になったにはちがいないが――その<現在>のうちにあるズレ、ある差異化を惹き起こして、通常<未来>とか<過去>とかと呼ばれている次元を開き、その<現在><未来><過去>のあいだに複雑なフィードバック・システムを設定し、そこにまたがって生きることができるようになった。つまりは、おのれを時間として展開して生きることができるようになったのである。
 
 それとともに人間は、単に現在与えられている生物学的環境にだけではなく、それを足場にしてその上に構成された<世界>に適応するといった仕方で生きるようになる。ハイデガーの言う<世界>とはけっして地理的な場所のようなものではなく、それは、現在与えられている環境構造に、かつて与えられたことのある環境構造や与えられるであろう環境構造を重ねあわせ、それらをたがいに切り替えて相互表出の関係に置くことによって、それら多様な環境構造をおのれのさまざまな局面(アスペクト)としてもちはするが、そのどれ一つにも還元されることのないような高次の構造として構成されるものなのである。
 それは、さまざまな構造をさらに高次に構造化する<構造の構造>、あるいはさまざまな関係をさらに高次に関係づける<関係の関係>であり、人間はおのれの構成したそうした高次の構造、高次の関係に適応するようにして生きている。
 
 人間は、他の動物のようにそのつどの生物学的環境に埋没し縛りつけられることなく、そうした環境を少しだけ<超越>し、世界という高次の構造に開かれているのである。ハイデガーはこうした人間に特有な在り方、存在構造を<世界内存在>と呼んでいる。だが、これも、人間がおのれを時間化することによってはじめて可能になったのである。(中略)
 人間には<現在>だけを生きることなどできはしない。今日を生きながら、人間はつねに明日を思いわずらい、昨日を引きずっている。刹那主義的に生きるとか、明日は明日の風が吹く、宵い越しの金はもたないだとか粋がってみても、これも明日を思いわずらう一つの仕方でしかないのである。こうした人間に特有な存在構造を、ハイデガーは<時間性>と呼ぶ。
木田元『偶然性と運命』,22-23,岩波新書