この世界の片隅に 体験談

興味深い話が読めたのでお礼に幼少の頃によく聞いていたじいちゃんの話をしてみようと思います

確か今年97歳。

話の時系列史実なんかと照らし合わせてはいないので口伝だと思ってください。

  

南方出兵していたそうだ。

ビルマという単語がよく出て来たのでおそらミャンマーあたりだろう。

向かう途中は狭い船内で古参兵が新兵を並ばせて殴ったりといった行為日常だったようだ。

そのせいで左耳が聞こえなくなり今でも聞こえない。

船は度々狙われたようで隣の船が魚雷でやられるのを何度も見たのだという。

魚雷は白い線が出るからどこを来てるのかわかったそうだ。

  

ビルマについてからジャングルが主戦場だったようだ。

ぬかるみを行軍して靴を脱ぐことをも出来ずに足がただれたこと、ヒルが体中に張り付き血だらけになることもよくあったそうだ。

親指くらいの大きさになったヒルを無理やり取ろうとすると頭だけ残って余計大変なんだとか。

駐留地についてからは色んな部隊に配属されたようだった。

通信用の有線をジャングル内に設置してあるものを度々トラが切るようで3人一組の班を作り夜中に見回りをしていたそうだ。

他の班の人がトラに襲われ全員が帰ってこないこともあったとか。

機銃を撃つこともあったそうで、「○発掃射」とかのような指示がありボタンを放すタイミングが難しいがコツを掴めば簡単だったと言っていた。

援護が目的のようで当たっているのかもわからなかったらしい。

前線補給物資と共に機銃を運ぶこともあったそうで、台座に乗せて4人で運ぶ際に担ぐ肩を変える掛け声が「肩変えー右」「肩変えー左」

途中で現地住民が待ち伏せして襲ってきて隣の人が亡くなったそうだ。

  

通信兵のようなこともしていたとき航空機から攻撃を受け目の前の通信機が壊されたとか。

パイロットが地上からも見えるくらいの高さで身を乗り出して何かを見ていたそうだ。

またある時に調理兵の偉い人が同じ村出身で気に入られ牛の解体とかもしていたそうだ。

川の上流で解体していると内臓は流して捨てるせいか拾いにくる現地住民と仲良くなったと言っていた。

現地の言葉の数え方で「てが あんぱ りな」と言うのを教えてもらったと。

日本語で言う「ひい ふう みい」らしい。

食べ物が無くなってくると錦蛇も食材として捌いていたとのこと。肉厚で美味しいらしい。

それでも足りなくて猪用の頭から入ったら抜け出せない落とし穴を掘っていたらしいのだが、

空腹に耐えきれず食べ物を探しにジャングル内に入った人が落とし穴にはまり亡くなることが何回もあったらしい。

  

おそらく戦後だと思うが、捕虜として捕まったときに見張りの兵に自分たちは連発出来る銃で日本兵は単発の銃だから負けたんだというようなことを

仕草を交えて言われたらしい。

また、何かの土木作業をしたり運んだりといったことを戦後3年間行ってやっと帰ってこれたということだった。

運ぶ作業の際に丸太橋で谷を渡ることがあったそうだが、肩に60キロくらいの荷物を担いでいたので落ちた人もいたそうだ。

  

こういった話を淡々自分感情をのせることなく語るじいちゃんです。

戻ってからの苦労話は色々聞いたけど戦争に関する恨み辛みは聞いたことはないです。

もちろん戦争を賛美するようなことも言いません。

  

最近政治については話たりはしないのでどう思ってるかはわかりません。

だいたいは昔話と猫と相撲のことばっかりです。